今回お話を伺ったのは、国分寺市議会議員の松岡真里さん。インタビューの後半では、お母さんとの衝突の日々を乗り越え、良好な関係を模索しながら、自分の人生を切り開いてきた松岡さんの歩みを取材しました。
「なんのために帰ってきたのか…」葛藤を感じる生活
―その後、お母さんとの二人暮らしはいかがでしたか?
最初は良かったのですが、3か月目以降、母親から罵声を浴びせられるようになったんです。最初の1~2か月で元気になりすぎてしまったのか…母親自身が自分の調子をコントロールできなくなってしまったんだと思います。毎日のように父親に対する不満はもちろん、私に対して「なんで帰ってきたのか」「あんたがつくるご飯はまずい」「あんたみたいな娘に育てた覚えはない」といったことを言われ続けました。そんな母親の思いを私は受け止め切れず、今度は私自身がうつ病になるかもしれないと思うほど追い詰められていきました。あの頃は毎日泣いていましたね。「私はなんのために家に帰ってきたのか」「お母さんにこんなことを言われるために帰ってきたわけじゃないのに」と色んな思いがめぐりました。
また、当時別居中の夫がいたのですが、夫に会いに行ったり、夫にきてもらうことも母親は嫌だと言うようになったんです。次第に仕事以外に外に行くことすら拒否されるようになり、私はさらに追い詰められていきました。あの頃は人生で一番しんどかったですね。

そんな時、高校の同級生がヨガや瞑想のレッスンをしているのを知り、通うようになりました。母親の罵声が始まってから3〜4か月ほど経った頃のことです。この出来事が、私の考え方を大きく変えるきっかけになりました。
それまでの私は、「母親のために何かをしてあげなければ」「私が母親を治してあげなければ」と、どこか上から目線で母親を見ていたことに気づいたんです。また、自分が「食の研究」に興味を持ったきっかけは、祖父の畑で育てていた野菜が好きだったからだと思い出したりもしました。そうして少しずつ、自分の考え方が大きく変わっていきました。自分の捉え方が変わることで母親への見方も変わり、自然と「申し訳なかったな」「育ててくれてありがとう」と思えるようになりました。それまでは、そんな気持ちになるなんて想像もしていませんでしたが…(笑)。本当に、物事は“捉え方次第”だと実感しました。
自分自身の変化がもたらした母親との良好な関係
―お母さんから罵声を浴びせられることも減っていたんでしょうか。
そうですね。私が「お母さんに対して上から目線だった。ごめんね」と私自身が内省したことを正直に話したこともあって、母親にも変化があったのかなと思います。和解できたという感じですかね。
一方で、母親との関係が改善し始めた頃、夫がイタリアに転勤するという話が出ていました。最初私は母親のことがあるのでイタリアには行かないと決めていたんです。でも、「やっぱり夫についていく」と母親に伝えてみたところ、大反対されました。母親との関係が良好になったところで、いきなり私から距離を取るようなことを言われたので、余計に嫌だったのかもしれません。それでも私は「今までごめんね。ありがとう。でも私行くね」と伝え続けました。今思うと、包み隠さずお互いの本音を話しあえたのはあれが初めてだったかもしれません。母親も最終的には納得してくれたので、私はポジティブな気持ちでイタリアに行くことができました。

―イタリアに行ってから、お母さんは大丈夫だったんでしょうか。
これが割と大丈夫だったんです。母親自身も一人になって自分でやりたいという気持ちが出てきたのか、自転車に乗れるようにもなって…私にとって衝撃的なことが沢山ありました。イタリアには1年弱住みましたが、その間に初孫となる息子が生まれたこともあって、母親は落ちついていましたね。
それでも母親は父親のことをずっと恨み続けていました。私はそれが母親自身を疲弊させていたと思います。息子が3~4歳になるまでは一緒に遊んでくれたりしていましたが、次第に毎日寝込むような生活に戻ってしまったんです。そうなると、自分で家事ができないので母親に「近くにいる親戚や近所の人を頼ったら?」と言ったのですが、母親は誰かを頼るようなことはしなかったですね。結局、別居中の父親に買い物に行ってもらったり、ごみを出してもらったりもしていたのですが、母親にとっては父親の声を聞くのも嫌だし、父親に頼っている自分も嫌だったのだろうと思います。
両親の仲については「私自身が2人の間に入ることによって関係性をより複雑にしてしまっている」「2人の問題を2人で解決できなくさせている」と感じていました。また、私自身が母親との共依存の関係に疲弊していたこともあって「この問題に一線を引かなければいけない」と強く思っていたんです。それでも、母親のことは大好きだし、元気になってほしいと思っていたので「こういうことしてみたら?」「こういうこと聞いたよ」と伝えたり、電話をして「大丈夫?」と常に気にかけてはいました。でも、「あとは母親次第だな」という気持ちに振り切れていたんです。親戚には「なんでそんなに冷たいこと言うの?」と言われたりしましたが…。これ以上、介入することは私が望む未来ではなかったんです。
―それでもご両親の関係性に変化はなかったんですね。
両親には20年近く同じようなことを言い続けてきたのですが…変わらなかったですね。母親については、私が成人するまでの20年間育児に専念してくれていたこともあり、私は「本当にやりたいことやってね」と母親に言い続けてきました。母親は「体調が良くなりたい」とは言っていましたが、自分のやりたいことはわからなかったようです。そしてそのまま、母親は亡くなってしまいました。今年の6月のことでした。
母親は最後の最後まで、父親のことを恨んでいました。その恨みのエネルギーの大きさには驚きましたが「これが母親の選んだ人生だったのだ」と、今では受け止めています。母親の生き方を間近で見てきたことで、私は「なぜ自分は生まれてきたのか」「なぜこの活動をしているのか」「自分は何が好きなのか」——そんな問いを大切にしながら、主体性を持つことの大切さを伝えたいと思うようになりました。「一人ひとりが主体性をもって自分の人生を生きられる社会にしたい」その思いが、今の私の議員活動につながっています

―全部繋がっているんですね。お父さんは今お一人で暮らしているんですか?
はい。今は一人で暮らしています。父親にとって「母のために何かをする」ということが生きがいになっていました。今はその存在がいなくなってしまった分、何もすることがない状態なので少し心配しています。
実は母が亡くなる前、母親は首に繋がった管から栄養をいれることでなんとか命をつないでいた時期がありました。父親は毎日面会に通っていましたが、母親は父親を前にして「顔も見たくない」「声も聞きたくない」と言っていたみたいなんです。そんな母親の姿を前に、父親は何もできず、そこで初めて自分の不甲斐なさを感じたようでした。それから父親は、「自分のせいだ」「自分が悪かった」と自分を責めるようになったんです。私は「誰が悪いということではないんだよ」と伝え続けていますが…これからどうなっていくのか少し心配です。
未来を見据えた松岡さんの思い
―似た境遇の人たちへメッセージをいただけますか?
私は20代の時、とても大きな責任感を勝手に背負っていました。そういう責任感を背負いやすいタイプの人がケアを担っていってしまうんじゃないかと思います。その渦中にいる時に自分を振り返るのは本当に難しいので、なかなか気軽にやってみてというのも酷かもしれませんが、ちょっとしたことでも、何か違和感や辛さを感じた時には、自分を振り返って内省することが大切だと思っています。私自身は、それで大きく変わったと実感しています。
あとは、誰かに話すというのも大事です。私自身、誰か話すことで自分のストレスを発散していた部分があったと思います。言いにくいとは思いますが、勇気を出して言ってみるのもいいかもしれません。
そんな風に私が思えたのも、母親がきっかけでした。母親は他人に弱みを見せられない人だったので、誰にも頼れなかったんです。プライドの高さや「他人に弱みを見せたら終わり」という思いを持っていたからかもしれません。私は逆に自分の弱みを見せてしまおうと考えていたので、色んな人に打ち明けてきました。そういう機会を自分から作ることができたのは今振り返ると良かったと思っています。
―松岡さんの今後の展望を教えていただけますか?
私自身、実家を出ようと思った時「母親をケアできるのは私しかいない」と思っていました。今は、地域全体でケアできるようになったらいいなと思っています。母親が私以外に頼れる人を作ること。それは行政の役目の一つでもあると思っています。前回の議会の一般質問では、ケアラーが自分の人生を歩み出す、そのハードルを下げるためにケアラー支援条例をつくったらどうかという提案をしました。現状としてケアは親戚など、身の回りの人に頼らざるを得ません。日本人の「家庭内で解決しなければならない」という精神を変えていかなければならないとも思っています。
市議会議員になる前から、私は「200年後の子どもたちが幸せに、健康に暮らしてほしい」という大きなビジョンを持っていました。そして、「そのために今の私に何ができるのか」を問い続ける中で、次第に「まず自分自身が持続可能でなければいけない」「私自身が幸せだと思える暮らしを続けていくことこそが、200年後につながるのではないか」と思うようになったんです。例えば食の面では、体に優しいものやおいしいものを選び、感謝して食べること。人との関係では、誠実に向き合うこと。そして何よりも大切なことは、自分を大事にすること。そんな小さな積み重ねを、これからも大切に続けていきたいと思っています。
終わりに
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