両親が立て続けにケアが必要な状態に。たった1人で抱えてきた家族の責任と人生の葛藤【前編】

今回インタビューしたのは、現在お父さんをケアしながら、社会福祉士として働いているiさん。きょうだいがいない中一人で育ってきたiさんは、お父さんだけでなくお母さんのケアも経験してきました。インタビューの前半では、突然ケアが始まった当時の状況についてお聞きしました。

ケアのはじまり

―ご家族構成と現状の生活を伺ってもいいですか?

家族構成は、父親、母親、私の3人家族です。父親は右半身麻痺と失語症があり、介護度でいうと要支援2になります。基本的に自分でトイレ、お風呂、食事などはできますが、長距離を歩くとなると、装具と杖を使わないと歩けません。そこで、月曜と木曜はデイサービスに、火曜はB型作業所に通っています。水曜と金曜の午前はヘルパーさんがきて、買い物や洗濯を手伝ってくれていますね。父親一人でも片手や口を上手く使って洗濯物干しなどは頑張っているのですが…お皿洗いや部屋の掃除などは限界があるので、家事が難しいところはヘルパーさんにカバーしてもらっています。

私も月2回は父親のところに手伝いに行っています。いつでも父親のところに行けるように同じ町に住んでいるんです。父親のところに行っては、お金の管理をしたり、随時、頼まれたことがあれば手助けをしています。

―iさんが幼少期のころ、家庭の様子はどうでしたか?

普通の家庭でしたね。親が病気になることもなく、ケアとは無縁の生活でした。きょうだいがいない分「親がいなくなったらどうなるんだろう。長生きしてほしい」と漠然と思っていたくらいです。

父親(当時52歳)が脳出血で倒れたのは、私が大学2年生の秋頃のことです。そのとき私は、母親と一緒に九州に住む祖母の家へ新幹線で向かっている途中でした。移動中は、スマホの充電が切れてしまっていたので「祖母の家に着いたら充電しよう」と思っていたのですが、いざ到着してスマホの電源をいれてみると、病院や父親の職場から大量の留守番電話が入っていたんです。私と母親は、翌日すぐに飛行機で大阪へとんぼ帰りしました。

母親と急いで病院に向かった

病院につくと、父親はICUにいました。お医者さんには「右手足を動かしたり、しゃべることが難しい状態です。もしかしたら、両目の右半分の視野も欠けているかもしれない」と説明を受けました。

ICUに入る前はすごく怖かったのを覚えています。「父親はどんな姿になっているんだろう」という不安や緊張がありました。ICUに入ると、重度の患者さんが並んでいる中にいつも元気だった父親がいて…。包帯や管がまかれて、苦しそうにしている父親の姿を見た時は本当にしんどかったです。母親もとても動揺していました。父親が倒れたことで「今後の生活をどうしていったらいいのか」という不安も大きかったと思います。

―その後、お父さんの容態はいかがでしたか?

救命病棟からリハビリ病棟に移るまでには、かなり時間がかかりました。途中で誤嚥性肺炎になってしまい、なかなかリハビリ病棟に移れなかったんです。結果的に1か月半ほど救命病棟に入院していたと思います。それまでほとんど体を動かしていない状態だったので、リハビリ病棟に移った時には歩くことも話すこともできない状態でした。そこから、少しずつリハビリが始まっていった、という感じでしたね。

リハビリでは、スマホの操作や言語、歩く練習もしていました。私もリハビリの様子を見学させてもらったことがあります。一緒に階段のぼる練習もやりました。ただ、私は大学やバイトがあったので、主にお見舞いに行っていたのは母親でしたね。母親は母親で父親のためにできることをやり、私は私で大学の学費のことを考えて奨学金の申請をするなど、それぞれができることをしていました。

受け入れがたい現実

—iさんにとって、とてもお辛い状況だったと思います。その時、誰かに相談することはありましたか?

大学で仲の良かった1人の友人や地元の幼馴染に、がんばって伝えました。当時は、私の近くで親が病気になった人がいなかったのもあって、みんな「なんて言ったらいったのかわからない」という反応でした。びっくりしていましたね。

—お母さんと話しあうこともあったんでしょうか?

話し合うというよりも、喧嘩していましたね。母親には「もっと手伝ってよ」と言われていました。でも、その時の私はまだ子どもだったので、父親の状態を受け入れることができなかったんです。元々、父親は身長が高くたくましい人だったので、余計にそう感じたのかもしれません。そんな父親がおじいちゃんたちとリハビリをしていたり、麻痺した口元からよだれがでてしまう姿がどうしても受け入れられませんでした。

また、私も当時20歳だったので、もっと自分のことをやりたい時期でした。邪魔された…ではないですが「なんでこのタイミングで」「なんでこんなこと起こるんだろう」ともやもやしていました。周りと比較してしまったのもあると思います。大学で楽しそうにしている人を見ると「私は大学を続けるかどうかも迷ったのに…」という気持ちになることもありました。今振り返るとすごく葛藤がありましたね。

 同世代が大学生活を謳歌する中、様々な葛藤を抱えていたiさん

    

—お父さんはご自身の病気をどのように受け止められていましたか?

父親はずっとある宗教を信仰していた関係で「どんな状況でも感謝して受け止め、乗り越える」といった姿勢でした。父親なりに大変だったと思いますし、もどかしさもあったと思いますが、今も信仰のおかげでずっと前向きにがんばれていますね。メンタルはずっと安定しています。それはそれでありがたい反面、むかつくこともありますが…(笑)。今は信仰があって良かったんだろうなと思っています。あと、家の近所にある教会に通っているご近所さんが週2回 、父親のところに夜ご飯を届けてくれているんです。地域で助け合う家族文化みたいなものがあり、私もそれに甘えています。もちろん毎週は難しい時もあるので、宅配弁当を活用したりもしています。

そうした中で、父親と向き合うのは本当に大変でしたね。母親がいる頃は母親がやってくれていたのですが、私が23歳の時、母親が大腸癌で亡くなってしまったんです。私自身、現状を受け入れられていなかったところから、父親に向き合わざるを得ない状況になっていったのもあって、今に至るまでの5年間が本当に大変でした。

気持ちの整理がつかないまま、お母さんも病気なってしまい、両親のケアを担うことになったiさん。これまでお母さんが担ってきた役割や責任が一気にのしかかり、一人で担うにはあまりにも大きすぎる負担を背負って大学生活を過ごすことになります。そんな中でiさんが見つけた”家族の在り方”とは。インタビューの後半はこちらから。

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この記事を書いた人

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