
現実を受け入れられないまま、お母さんのケアにも直面したiさん。インタビューの後編では、ご両親のケアを経て、様々な葛藤を抱えながらも自分の人生を模索するiさんの思いを伺いました。
母親の病が発覚
—お父さんの状態が落ち着いてきた頃にお母さんも病気になってしまったんですね
はい。私が大学4年生の夏のことです。以前から母親は「右のお腹が痛い」と言っていました。父親が倒れたときも、母親は胃薬を飲んでいたので、その頃の強いストレスも影響していたのかもしれません。元々、母親(当時54歳)には婦人科系の持病があったので、婦人科を受診して検査を受けました。そして翌日、検査結果を一緒に聞きに行くことになったんです。嫌な予感はずっとしていました。
実際に検査結果を聞きに行くと、ドラマのように、病室があって、お医者さんがいて…という状況でした。そして、お医者さんに淡々と「大腸に癌があります。肝臓にも転移しているので、ステージ4です」「腸閉塞もおこしかけているので、今日から入院してください。2週間、絶食してとれるだけの癌をとります」と説明を受けました。この時にはもう、何もしなかったら2か月で亡くなるという段階まできていたんです。そのまま母親は入院してしまったので、その日は私一人で帰らなければいけませんでした。
その帰り道が本当にきつかったですね。電車を待っている時も、飛び込んでしまおうと…。実際に強くそう思っていたわけではありませんが、思い描いていた未来が一気に真っ暗になった気持ちでした。それまで当たり前のように、自分の結婚や出産の時に母親がいる未来を思い描いていたからです。でも、もしかしたら大学卒業の時にはもう母親はいないかもしれないんだ——そう考えると「この先真っ暗だ」「母親がもうちょっとでいなくなってしまうなんて…意味が分からない」「両親が立て続けに病気になるなんてことあるんだ」と放心状態でした。人生って残酷だとも思いました。とにかく、その時の状況が信じられなかったですね。

また、ちょうどその期間はゼミの合宿で3週間北海道に行く予定があったので、スケジュールを空けていたんです。その3週間と母親の入院、絶食期間がちょうど重なっていたので、合宿はキャンセルして大学4年生の夏休みは毎日お見舞いに行っていました。
両親の対応に追われ、心身共に限界に
—その頃は、お母さんのお見舞いに行き、帰ってからお父さんのこともみて…という状況だったのでしょうか?
そうですね。母親のお見舞いから帰ってきて、父親とご飯を食べている時に父親がてんかんを起こして救急車を呼んだ日もありました。ダブルでそういうことが起きたので、その時はさすがにやばいかも…と思いました。本当にしんどかったですね。私は元々アトピーをもっているのですが、ストレスで悪化してしまったり、夜眠れなかったり、家にいられない時もありました。その時は友達の家に泊まらせてもらったり、逆に家にきてもらって一緒に寝てもらうこともありましたね。友達の存在はとても大きかったです。
—とてもお辛い状況だったと思います。その後、生活はいかがでしたか?
母親は手術受けて、9月はじめに退院しました。その後は、自宅で化学療法をしながら生活していました。化学療法の副作用が出る時もありましたが、化学療法をしていない時は普通に生活ができていました。この頃、母親は動けることは動けていたので、父親のケアもしていましたね。そうした方が気がまぎれたのかもしれませんし「私に迷惑をかけたくない」という思いもあったのかもしれません。
そのころ私は大学を卒業して就職したタイミングでした。働き始めの頃は仕事が本当に大変だったことに加えて、家に帰ってもいつまで生きられるかわからない母親と脳出血の後遺症で体が不自由になってしまった父親がいるという状況だったので、私の精神状態はとても不安定でした。それもあって、両親にはよくあたってしまっていましたね。その時、家の中の空気感は最悪でした。こうしたストレスもあったのか、母親の状態は悪くなっていってしまったんです。コロナが流行し始めた年でもあったので7月頃にはお医者さんからも終末期の話をされるようになりました。

気持ちが追い付かないままコロナ禍へ
それから11月末あたりに緩和ケア病棟に入る前の面談を受けに行きました。それがすごく嫌でしたね。本人はまだ元気なのに「緩和病棟は痛みを和らげて、最期の時を過ごす場所です。延命治療はしません。大丈夫ですか?」と説明を受けるんです。これを親子で聞いているというのがなんとも言えなくて…。母親はどんな気持ちだろうと思いました。その後、帰り道に立ち寄ったカフェでも何を話したらいいのかわからなくて、どうしようもない感情でした。私もこれが最後と思いたくなかったんだと思います。とにかく、いつも通りにしようと思って頑張って普通に振る舞っていました。
緩和ケアの面談の後もしばらくは自宅で過ごしていましたが、自宅療養でも母親の状態が怖いと感じることがあったので、自分で調べて往診の先生をつけてもらったりしていました。なにかあったときにいつでも相談できるようにしようと思って自分で動いていましたね。その後、母親の状態が悪くなり、最期の一か月は緩和病棟に入りました。母親が緩和病棟に入った時は、父親も一緒に病院に来たのですが、車椅子に座っている母親と杖をついている父親の姿を見た時は「両親共に56歳で若くてまだまだこれからなのに…」と悲しくなりました。また、コロナが蔓延している時期だったので、緩和ケア病棟に入った最後の1か月間は、面会はたったの1週間に1回15分だけでした。まだ気持ちも追いつかないまま、1週間ごとに弱っていく母に会いに行くのが怖かったのを今でもとても覚えています。そして、コロナ禍だったとしても、緩和ケア病棟では面会時間や回数をもっと増やして欲しかったと今でも思います。
—ずっと一人で耐えてこられたんですね
その当時は「自分が倒れたら終わり」という思考が強く、ずっと気を張っていました。ある意味強かったのかもしれません。父親が倒れた時に母親のことを支えられなかった負い目もあったので、様々な手続きなど、自分にやれることは全部やろうと思ってやっていました 。そんななかでも、相談に乗ってくれていた友人や状況を理解していただいていた当時の職場の方々にはとても感謝しています。ただ、病院とのやり取りや手続きはどうしても親族しかできません。そういった部分を働きながら休みの日に進めたりするのは、今振り返ると結構大変だったなと思います。
「自分の人生を生きたい」将来を見つめるiさんの思い
—iさんのこれからの展望を教えてください
ちゃんと自分の人生を生きたいと思っています。母親がいなくなってから悲しい気持ちもありましたが「やっと解放された、自分の人生を歩める」という気持ちもあったんです。一方で、母親が亡くなってからも父親にはずっと向き合い続けてきました。そこから今に至るまでの期間が本当に大変だったんです。それでも、自分ができることは全部やってきましたし、自分がとりたかった資格の勉強など、自分のやりたいことはやってきました。自分のやりたいことをやれる人生は本当に幸せだと思います。自分が立場的に一人っ子で 、一番自分の将来を考えて選択して決断できる大学生時代にどうしても親をみないといけない状況だったことが、「自分の人生を生きたい」という思いを強くさせたのかもしれません。
そして、私も28歳になり結婚や出産など将来のことを考えていくと、いつまでも父親の心配をしながら生きていくのは嫌だと思いました。父親は唯一の家族で、親でもありますし、精神的にいてくれたらありがたい存在です。でも、言い方は悪いですが、負担と感じてしまう気持ちもあるんです。「自分も家庭ももちたいと思っている中で、お父さんの存在って…」と考えてしまう時があります。
これまで、何かあった時にすぐ行けるように父親と同じ町に住んでいましたが、近いからこそ、父親も私にすぐ頼れてしまいますし、私も心配しすぎてしまうところがありました。何もしてなくても、ずっと頭のどこかに父親がいるのがしんどかったんです 。きっと母が亡くなった喪失感が大きくて「父親までまた倒れて居なくなったらどうしよう」という漠然とした不安感や恐怖みたいなのがあったんだと思います。
最近やっと状況が落ちついてきて「今使える福祉サービスはいれているし、これまでできるサポートは後悔がないくらいやってきたから、父親と離れてもいいんじゃないか」と考えることができるようになりました。今は、一駅となりの駅に住もうと検討中です。出産や子育てしながら父親のところに通い、ダブルケアラーのような立ち位置になる前に、心理的にも物理的にも距離をとること。そして、必要に応じて福祉サービスをいれたり、自分が無理なことは周りの人をしっかり頼って、自分も無理なく生きていきたいと思っています。ちょっとでも負担を減らして、自分の人生に集中できるように、父親との良い付き合い方を見つけたいと思っています。
—最後に似た境遇の方々にメッセージをいただけますか?
ちょっとでも自分が楽になる方法や知恵を沢山身につけてほしいと思います。「家族だから面倒見るのは当たり前、仕方ない」という責任感や価値観で、どうしても親を優先に考えてしまうと思うのですが、いい意味で自己中心的になって、自分の幸せを第一に考えてもいいと思うんです。「わがまま」まではいかないですが、それくらいの気持ちを大切にしてやってみるのがいいのではないかと思います。
—貴重なお話ありがとうございました。
終わりに
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